5%のお役目〜私と旦那さんの闘病記〜

乳がんになってから10年が経ち、その他の闘病も交えながら記録の為に記しておこうと思った闘病記です。

ダブル介護

そんなこんなで、初めての頭頸科も無事に終了し、放射線治療の方に入った。
放射線治療は着替えて治療する迄の時間自体は10分位?なものだが、月〜金まで毎日行かなくてはならなかった。(土日はお休み)
これがまた、意外と大変で、放射線治療25回+ブースト5回なので、約1か月、通って治療を受けた。

放射線治療の副作用や後遺症もあまりなくて助かった。

その後はホルモン剤治療となり、私はホルモン剤を7年飲み続けた。薬を飲み始めた頃、退院してすぐに仕事をしようとしたが、無理に気持ちばかりが焦り、ホルモン剤の副作用のホットフラッシュなどモロに受けて体調を崩してしまった。
結局、仕事する事は少し休んでから、また仕事を始めよう。としたが、この頃、実家の両親の体調が悪く、父親、母親の2人とも倒れると言う、ダブル介護の生活に突入していた。

父親は肝硬変を治療中だったが、その後末期の大腸ガンが見つかり、余命2ヶ月と申告を受けて(その後1年半で他界しました)、当時は実家の父親が要介護3(その後要介護4)、認知症の母親が要介護2(現在要介護4)で、実家でそれぞれ介護サービスからリクライニングベッド、ベッドの横に簡易トイレを借りてのダブル介護を私達4姉妹で協力しながら行っていた。

それぞれの病院へも家族が連れて行くので、心身ともにヘトヘトだった。
姉2人は仕事をしていたので、結局、妹か私が面倒見る割合が多かった。私は実家まで車で片道1時間半かかるが、ずっと実家で両親の面倒を見ていてくれた妹も精神的に体調を壊してしまい、部屋から出て来ない日が多く、私が行くしかなかった。実質、両親+妹の様子も見ていた。
それでも毎日は行けないので姉にも仕事帰りに寄ってもらったりして、皆んなで協力しながら介護を続けていた。

乳がんになってから毎年、旦那さんと人間ドッグを受診するようになっていた。大体、夏の時期に行くようにしていたが、夏に行った人間ドッグの結果をなんだかんだで年末までずっと放置していた。
ホルモン剤を飲み始めて5年目位の頃だ。

益々酷くなる両親のダブル介護生活をしていた頃、夏に行った人間ドッグの結果でかなりの項目が引っかかっていた事を思い出し、年末で忙しいけど、今年の事は今年のうちに片付けてしまおう!と言う気持ちで、人間ドッグの結果票を持って人間ドッグを受診した病院へ向かった。

 

#乳がん #闘病記