5%のお役目〜私と旦那さんの闘病記〜

乳がんになってから10年が経ち、その他の闘病も交えながら記録の為に記しておこうと思った闘病記です。

心強かった大部屋

ホントに早い段階で見つかり、リンパへの転移もなかった。

ステージ2Aで、部分切除での手術だった。それでも細長い部分(ガン)が思いのほか、伸びていたらしく、部分切除ギリギリのラインまで伸びていたみたいで、少しでも病院に来るタイミングが遅かったら、全摘だったんだなぁ。と、思った。

切除部分の断端は通常10mmと言われているみたいだけど、なにせ私は、切除部分ギリギリだったので3mmしかなかった。なので、放射線治療も通常25回にブースト5回がプラスされて放射線治療は合計30回行った。副作用などはあまり酷くなくて助かった。

術後1日はICUで過ごし、その後病室へ移った。私は4人部屋の大部屋で、皆さん乳がんの患者さん達だった。

大部屋に移り、水分とってOKになったけど、痛くて力が入らず、ペットボトルのキャップが開けられなくて、どうしようかなぁ。。と思い、

「ナースコール呼ぼうかな?」

と思ったが、ナースコールのボタン押すやつが、ベッドの上に設置されたままで、まだ起き上がれない私にはどうする事も出来ず、途方に暮れていたら、手術から数日経って回復されて来ていた私よりも若い方がすぐに気がついて、

「キャップの蓋、開けられますか?開けてあげますね!」

と、開けてくれました!そして、ナースコール呼ぶボタン押すやつも、

「あぁ!これじゃ取れないですよね!手元に置いて行くの忘れちゃったのかな?」

と、手元まで下ろしてくれました。そして、

全身麻酔気管挿管したから喉が痛くなるんですよね。良かったら飴どうぞ!」

と、ご親切に飴までいただきました。
ホントに、気管挿管の後は喉が痛くて、飴は必須なんだなぁー!と、今後の入院生活にもとても役立つ情報をいただき、とにかく、先に手術を受けた方からの助言は本当に有り難かったし、年配の方とのお話も心強くて、皆さんそれぞれ頑張ってるんだなぁ!と、とても励まされた思いでした。
私は大部屋で良かったなと思いました。

 

#乳がん #闘病記

浸潤性小葉ガン

初めの採血で14本位取った。元々、血管が分かりづらくて細いので、いつも四苦八苦しているのに、14本は衝撃だった。
病院によっては何度やっても採血が上手く行かず、2人がかりで採血される事もしばしばあったけど、ガンセンターでは殆ど1発で採血してもらえる事が多くて嬉しかった。
1発で採血が出来た時は、「今日は良い1日になりそう!」と、気持ちも明るくなれた。

1週間の間でいろんな検査をして、手術に向けての内容がわかってきた。

乳ガンにはいろんな種類があると言う事を初めて知った。私のガンの種類は浸潤性小葉ガンというもので、乳がん患者さんの中でも罹患する割合5%と言う特殊タイプのガンだった。

乳がん検診などで教えてもらう「自分で確かめる方法」として、自分で胸を触ったりした時に丸いしこりが手に触れて分かると言う事を良く聞いていましたが、小葉ガンは米粒みたいに小さくてバラバラとしていて大変分かりづらいガン。自分で触って分かる様なものではない。

あの時、フッと3年も行ってなかった健康診断に行った方が良い様な気がして、健康診断に行った。その結果、見つかった私のガン。あの時期にあのタイミングでホント、よく健康診断に行ったなぁーと思う。何かに導かれていた様にも思うくらい。

ガンセンターでのエコー検査の時に技師さんとA先生が話していて、「どう?やっぱりそうか。。思ってたより広がってるな。」みたいな事を話していて、なんとかモニターの方に目を向けてみたら、白く光ったものが等間隔に1列に並んでいるのが見えた。
「なんだ?あれ??」一列に細長いものが光って見えた。こんな細長いのがガンなの??と思った。
後になって、何かの文献で読んだ時に、小葉ガンの特性みたいので、1列に広がって行く様な事を読んだ気がして、「あぁ。こう言う事だったんだな。」と、自分なりに私が見た細長いガンに納得出来た。

こんな風に広がって行くのか。だとしたらあっと言う間に広がって行くではないか!

何度も言いますが、あの時、良くこの早い段階で見つけてくれたなぁー!と、市の検診の時の技師さんにホント感謝でいっぱいだった。

 

#乳がん #闘病記

メンタル

初診の段階から手術日をまず決めてから、その間に検査をガッツリ予定していくので、
初診の日から怒涛の検査の日々が始まった。

その怒涛の検査の日々が始まる前に、これからの方針などを説明してくれる専門の看護師さんとのお話があった。その前に不安な気持ちなど優しく聞いてくれた。ガンだと聞いて精神的にメンタルが弱ってしまう患者さんもガン患者さんには多いとの事。なるほどな。メンタルがやられてしまう気持ちが良く分かる。私は
不妊治療が悪かったのかなぁ。。今までインフルエンザにもかかった事ないし、病院にほとんどかかる事もないくらいだったのに。絶対そうですよね。。」と言ったら、看護師さんは優しく
「そんなふうに決めないで下さい。何が悪かったなんて事、ありませんから。」と、私が行った事が原因でガンになった訳ではないから、思い詰めないで。と言う事を優しく言ってくれた。

子供の頃の辛かった家庭環境、仕事ばかりだった20代、経験してきたものを活かした仕事を独立して始めた30代、優しい旦那さんとの結婚。いろんな事が蘇ってきて、とたんに涙が溢れてきた。

 

#乳がん #闘病記

A先生との出会い そして優先する事

いろいろ持参したものをガンセンターの受付で渡して、座る所を探すのも必死な待合室でモニターに自分の番号が出るのを待った。

番号が出て診察室に入ると、明るい優しい声の白髪の先生がいた。
「はーい。いろいろ見せてもらいましたからね。まずは診察するので見せてくれるかな?」
と言われ、上半身の衣服を脱いで診察台の上に横になった。

「これ、自分で見つけたの??すごいね!!どうやって分かったの??」
と、先生に聞かれて私は
「いや。違います!市の健康診断で。自分では触っても全然分からないです。」
と答えた。
「えぇ?市の健康診断?その検診の人、よく見てくれたねぇー!」
と言う感じで、良く見つかったね!と言う事をかなり言われた。その言葉の意味をこの時は全然分からなかったが、これから先、ホント良く見つけてくれたなぁー!と、感謝する事になる。

 

先生からこれからのいろいろな方針を聞いた。手術の後の治療の事。
「お子さんはいますか?」
私が「いません」と答えると
「これから先、お子さんを希望されますか?治療中は妊娠する事が出来ません。もし、希望するなら、卵子凍結してから手術とかの話になるんですが、年齢的に現在38歳なので、この先妊娠する事もあるかも知れませんが乳がんの治療薬は少なくても5年は飲んでもらいます。治療は10年です。どうされますか?」
と、優しく言われた。

優しく言われたその言葉の先にある事は言わずもがな理解出来た。

目の前に現実を突きつけられて、とても悲しかったけど、子供の事は諦めていたし、旦那さんとも話して、私の命を優先して治療を進めて行く事に決めた。

 

#乳がん #闘病記

感謝

先生の顔色は少し変わったけど、すぐに戻り、
「うーん。そうかぁ。。」
と、他の病院へ行く事への残念さが伝わって来たけど、
「ガンセンターだね。あそこにはA先生がいるね!うん。大丈夫だね!分かりました。では今から紹介状を書くので少し時間かかりますが、この後時間大丈夫ですか?」
と、待ち時間を心配してくれた。
「レントゲン写真や検査結果のDVD、細胞のプレパラートなども一緒に渡すので、ガンセンターの受付で渡してくださいね。向こうでの診察が終わったら、レントゲンとプレパラートはこちらに返却して下さいね。」
と言う説明も受けた。

昼下がりで人もまばらな待合室の椅子に座って待っていると、看護師さんがガンセンターに行く日にちと時間の確認に来てくれた。ガンセンターの方へ私が行く連絡と予約をしてくれていた。予約とかは自分でして行くものと思っていたので、こんなに親切にいろいろ手配してくれて看護師さんには感謝しかなかった。

 

#乳がん #闘病記

原因探し

針生検が終わって家に戻ってきたら、私の中の張り詰めていた何かがプツッとキレた。1人でワンワン声出して泣いた。
「やっぱりガンだった。でもまだ確定ではないよね?針生検の結果で、もしかしたら違うかもしれない。。だけど先生、ガンだって言ってたよね?やっぱりガンなのかな。死ぬのかな。。」
と、初めて自分が死ぬのかも知れないと言う事を考えた。

何で私が??何でこんなに辛い事ばっかり。何が行けなかったの??ガンになる程、何をそんなに無理してたの??
子供時代に受けた両親からの辛かった事?独身時代にガムシャラに仕事してた事?不妊治療で大量のホルモン剤を投与していた事?旦那さんの看病?
何が原因でガンになってしまったのか。考えても仕方ないのに、頭の中でグルグルグルグルと同じ事を考えては泣いていた。
針生検の検査結果が出るまでの2週間。この時期が1番しんどかった。

数日後、針生検の結果を聞きに病院へ行った。やはりガンだった。どこまで進んでいるのかなど詳しく調べる為にこれからいろいろな検査を行う旨の話をされた。
大学病院の先生にはホントに感謝している。だけど、このままここの病院で手術を受ける気持ちにはならなかった。

私は姉達と相談して決めたガンセンターへの紹介状を書いていただきたいとの旨を先生に伝えた。

 

#乳がん #闘病記

ガンだね!

次の日、指定の時間に病院に行った。
すると、昨日レントゲン写真を見てくれたと思われる大学病院の先生が対応してくれた。とてもハキハキしていて感じの良い先生だった。

「何度も来てもらって悪かったね!昨日、レントゲン写真見せてもらったんだけど、これは、ガンだね!」
と、呆気に取られるほど普通にガンの宣告を受けた。

良くドラマなどで見る、薄暗い診察室で深刻な表情をしながら「残念ながらガンです。」みたいに伝えられる事なんて全くなかった。

思わず笑いそうになるくらい軽く言われた。
「あぁー。。やっぱり。。そうでしたかぁー。」と私が応えると、

「良性の腫瘍だと顔つきが丸いんだけど、悪性だとトゲトゲしていて顔つきが悪いんだよ。」

と、簡単な悪性と良性腫瘍の見極め方を教えてくれたけど、私が見てもその違いは、なんとなく。。言われてみれば。。くらいで、あんまり良くわからなかった。

「これね、この後ホントは細胞診して結果見てから針生検するんだけど、これ、もう悪性だから!ガンの可能性高いので、細胞診とばして針生検しちゃうからね!」

と、その場で簡易手術室の様にして針生検を行った。

普通、針生検の結果でガンが確定されるんだと思うけど、もう殆ど確定されたようなモノだったので、気持ち的には不安でドキドキすると言うより、マジかー。。と言う、気持ちの方が強かった。

初めて聞く針生検の「バチンバチン」というあの音が凄く大きな音で、何されてるのか分からないけど、怖いからひたすら早く終わってくれるのを待っていた。

終わるのを待ちながら、今日の先生が写真見て、細胞診を飛ばして針生検を行う程、悪性で間違い無い!と言うモノを、一昨日の先生は判断出来なかったのかよ。。と、思ったら、他に診察受けた患者さんがいたとしたら、その人は大丈夫だったのだろうか?手遅れになってたりしなかったのだろうか?と心配になった。

だって、あのまま1か月後に診察してたら、ガンは今より進行してただろうし、看護師さんからの申し出がなくて3か月後の診察だったら、手遅れになってた。
病気になんて誰もなりたくない。だけど、なってしまった後の、一緒に治療をしていく先生との出会いで、その後の生活が一変してしまうんだな。と言う現実を身にしみて体感した出来事だった。

#乳がん #闘病記